切実です。

このサイトも公式へのリンクを申請しまして、今審査を受けている段階です。まぁよほどのことがない限り問題ないとは思いますが。でも私は心配性な方なので当分は真面目なことを書くのです。

今日は我が大学では卒業式が行われているらしいです。自慢じゃありませんが、私は中学校の卒業式で式歌の指揮をやったことがあります。なんの歌だったかな・・・。蛍の光とか仰げば尊しとかそんな有名な歌じゃなくて、でも卒業式に歌うような感じの歌でしたが。まぁそれはどうでも良い話。

皆さんは式というものをどう捉えているでしょうか。文化人類学の通説によりますと、人は成長して健全な社会の一員となるために、大きく3つの段階を経るそうです。今まで守られる立場であった既存の社会から分離し、異なる環境へ移行し、最終的には元の社会に、今までとは違った立場で再統合されるというものです。その移り変わりの時にイニシエーション(通過儀礼)があります。今でも成人するときに通過儀礼として割礼を行う風習は世界を見渡すとかなりあります。日本ではそういうことはしませんが、その名残というか、代替として式があると思うのです。

ゆえに小学校やら中学校やらの卒業式はほとんどどうでも良いというか、形骸化している感がありますが、高校と大学は少し重みが違います。高校→大学(一人暮らし)→就職という歩みをする方は高校の卒業式とともに分離し、大学生活で移行の期間をすごした後、就職という形で社会の一員となる。高校と大学の式は純粋な意味で通過儀礼となっているわけです。みなさん、高校と大学の卒業式は中学以下のときと比べて深く感動しませんでしたか? それだけ重要な意味があったということでしょう。30%の視聴率を超えたごくせんの最終回、卒業式のシーンで感動してしまうのもこのような背景があるからかもしれません。千と千尋の神隠しをはじめとする宮崎駿の多くの作品は、上に書いた3つの段階を経る形で描かれており、やはり人を感動させる内容だと思います。

というわけで今日は通過儀礼としての式を考察しましたが、私が何を言いたいかというと、4年できっちり卒業して感動の式を迎えたいと強く願っているということです。

広告