ハッピーマンデーとかやめてほしい。

専ブラという言葉の響きに興奮してしまう凡人のみなさん、こんばんわ。今宵も研究室からお送りします(何を?)。終戦のローレライを読了しました。あれはちょっと長いですな。長けりゃいいってもんじゃないですよ。やっぱり多少は硬度も重要に・・・。いや、冗談ですってば。やーねぇ。特に終章はもっとすぱっと終われば良かったものを。結局自分の言いたいことばっかりをあそこに詰め込んでしまってる感があります。次は春樹ちゃんでも読みましょうかね。

ヨーロッパの多くの地域は、祝祭日が年によって変わることがあるらしいです。祝祭日はキリスト教に基づくものが中心となっていて、カソリックやプロテスタントといった宗派の違いによっても変わるみたいです。これって、かなり良いことだと思いませんか?

良いと思う理由その1)
祝祭日がいつかというのが把握しづらいので、突然明日から連休であるなどと知らされ、テンションがあがる。

理由その2)
祝祭日の決め方が複雑なのでこっそりと2、3日休みが増えていてもばれない。

理由その3)
○○の日は何月何日でしょう? などという激しくしょーもない質問がこなくなる。

もうこれだけでも法改正する価値はありますね。今からの時代は移動祝祭日。しかしこのためには日本の祝祭日も何かしらの宗教に関連付けされる必要がありますね。だけどもこれは難しい問題ですよ。フィリピンやインドネシアみたいに国民のほとんどが1つの宗教だと楽ですけどねぇ。こーいうときの解決策は決まっています。逆にほとんど誰も知らない宗教を探せばいいんです。かと言って新興宗教じゃ抵抗ありますから、古来からあるものを探さないといけません。

・・・・ゾロアスター教とかいいんじゃないですか? これは別名、拝火教とも言われ、最近のマンションはガスじゃなく電気コンロばっかりになってゾロアスター教徒に優しくないので、ここいらで彼らの権利を(ry

ゆっくりかつはっきりとお願い。

今年は世界物理年です。今から100年前の1905年、アルバート・アインシュタインが3つの論文を発表し、のちに1905年は奇跡の年と言われるようになりました。その100年後ということで世界で様々な物理に関する催しが開かれています。4月18、19日は彼の命日と重なることもあって、世界を光のリレーで繋ごう、という試みも実施されました。

20世紀最高の物理学者と評されることもあるアインシュタインですが、彼の人生もかなりの紆余曲折を経たものでした。ここでその生涯を書くことはしませんが、やはり彼がユダヤ系ドイツ人であったことと、二度の大戦があったことは悲劇でしょう。ドイツの物理学者フォン・ヴァイツゼッカーらが原爆の製造を試みていることを鑑み、彼は時の大統領F.ルーズベルトに原爆製造を促す署名に参加します。一度訪れたこともある日本に、2発の原爆が落とされたことを嘆いた彼はその後平和運動を推進するようになりました。

そして1955年ごろに亡くなったのでしょうか。晩年の彼は量子力学に極めて懐疑的で、EPRパラドクスを提起したりしました。そして自らが否定し続けた量子力学は完成の日の目を見、最後までやり続けた仕事である統一場理論はついに完成に至ることなく生涯を終えたのですね。今現在、弱い力と電磁気力の統一は果たされ、それにさらに強い力をまとめる標準理論が研究されています。天才理論物理学者として名高いウィッテンは重力も含めた4つの力を統一するためのM理論をひたすら頑張っているみたいです。これらに量子力学が不可欠であることはとても皮肉なことです。

しかし相対論といい、超弦理論といい、M理論といい、こーいうのが完成したところで一体我々に何のメリットがあるの?という疑問を持たれる方がいらっしゃるでしょう。その疑問はもっともなものだと思います。一般相対論は90年ほど前に発表されたもので現在じわじわ応用されています。この理論がなければ人工衛星の軌道計算など無理でしょう。つまり天気予報やカーナビに役立っているわけです。統一理論はどうなんでしょうね。電弱統一が果たされたのが30年ほど前。これらが応用されるとしても、我々が生きているうちにはないかもしれませんね。

アインシュタインは確かアメリカで亡くなったのですが、その死の間際に何かを話したそうなんです。しかし臨終を看取った看護婦がドイツ語を解せなかったために、臨終の言葉は永遠に失われたそうです。彼が最後に何を話したのか、とても気になりますね。もしかしたら私も誰かの死を看取るときに、その人のドイツ語の遺言を聞くかもしれない。まぁ、そんな意味もあって私は今せっせとドイツ語の単位をとっているわけですよ。決してこれがないと卒業できないからとかそういうのではなく、うん、とても崇高な意味があったのですね。実は。

ちょっとした心がけでね。。

今日は今期の初講義でした。研究室に顔を出して当たり障りのない話を交わしつつ、今年度の前、後期で何を取るかを思案。なかなか忙しい1年となりそうです。絶対今期に取っておきたいのはドイツ語と英語。ドイツ語は今日初回の講義がありましてミヒャエル・エンデのモモを原著で読むとのことでした。これは私としてはかなりうれしい。頑張って毎回出席することにしましょう。2年前にやって以来なのですっかり何もかも忘れています。ich=Iということくらいは覚えていましたが、gibt es~なんて出るともう無理。前途多難というか先行き不安というか。。
とりあえずやらないといけないことは・・・研究室で使うノートPCのセットアップ、エントリーページの作成とクランの準備、RBさんとの交流戦の記録の作成。これらの作業で戯言があまり更新できていませんが、してあっても大したことは書いてないので大差ないとも言えます。

さて、話は変わりますが、よく女性に、男性のどういう部分に興奮する? といった質問をしたならば、なぜか車でバックするときにがばっと振り向く男性の首筋などを助手席から見たりしたら興奮する、と答える方がいらっしゃいます。あれって本当なのでしょうか。もっと他にも興奮すべきしぐさ、あるいは部分があると思います。例えば私は女性がなるべく布団から出ないようにしながら、部屋の電気を消すときのあの体をめいっぱい伸ばした状態に激しく興奮します。特に伸ばすほうではなく体を支えるほうの手に萌えます。女性は男性と暮らすときにはあの姿勢を見せるために、部屋の電気のあの垂れ下がったやつは短めにしておくと良いです。

それともうひとつありましてね。最近結構暖かくなってきて、女性は薄めで丈も短めの長袖シャツとか着始めるわけです。そんな状態でチャリに乗りますと、こいでるうちにちょっとだけですがシャツがずり上がったりして、後ろから腰の部分が見えたりしちゃいます。そんな女性の後を私が計らずもチャリで追跡する形になったりした時など、前を行く女性がその腰の部分を気にして、振り向かずに前を向いたまま片手でシャツを下げようとするんですよ。もうこれにはたまりませんね。もうこれだけでご飯3杯はいけちゃいます(空腹時なら)。これは誤解してもらっては困るのが、単なるチラリズムとかそういった次元ではない、ということなんですよ。女性の持つ羞恥心を匂わせるしぐさと言いますかね、もっとそういったものをこれからの時代前面に押し出していくべきだと思うんですよ! ミニスカートでチャリをこぐ時は片手をサドル付近にもっていくべきなんですよ!!

・・えっと、そんなに熱くなる事ではないですよね、はい。でもやっぱり地面に座るときはそっと横すわr(しつこい)

春は物思いに耽る季節です。

今日ふらりと大学へ行って今後の予定なんかを見てきました。研究室もよーやく決まっていよいよ新学期モードといった感じでしょうか。学内は桜が満開になっていましたね。ここで私のケイタイに写メのひとつでもあれば写真に収めてきたところですが。。本屋を覗くと、村上龍の「半島を出よ」がおいてありました。これはかなり読みたくてしょうがないのですが、いかんせんハードカバーは高い。。でも文庫なんて待ってたら1年以上になるし・・・。どうしましょう。これは買うべきなんでしょうか。難しいですね。

昨日の戯言のリアクションはさまざまでした。ある人は、”Take care of yourself.” と言って下さったり、またある人は、「あれは最後の一文を言いたかっただけだろ」とにべもありません(そんなこと言う人は私と同じ目に遭えば良いと思う)。うん、でもまぁこれは戯言ですのでフィクションの部分集合みたいなものなんですよ。そっとしておいてあげるのが一番いいんじゃないかな。

ところで、ここでフィクションという言葉を使っていますが、これは庶民に分かりやすいようにであって、私としては戯言=フィクション(虚構)というニュアンスではありません。自分では戯言=ソフィズム(詭弁)のつもりです。それがどうしたのか、と言われますと・・・。つまり自己矛盾を内包しているのですね。詭弁とは換言すると逆理、パラドクスのこと。そういう体系であるということです。このときと言っていることが全然違うじゃないか、と指摘されたら、「だって戯言ですから」と答えるでしょう。一体何の話をしているの? と思われた方は正常な思考の持ち主だと思います。最後に私の好きな定理をひとつ紹介しましょう。

算術を構築できるような無矛盾の公理系が与えられたとき、その公理系からは決して導けないが、しかし真である算術的言明が存在する。

(ゲーデルの不完全性定理)

脱北者ならぬ・・・

・・・ヒスイです。
最近、脱肛気味になっとるとです。。

いや、ヒロシのパクリとか飽きたし、とかそういう問題じゃないのですよ。変換ミスでもタイプミスでも、ましてや比喩表現などでもなく、本気で文字通り脱肛気味です。清廉潔白なこの私になんたる仕打ち。これはローマ法王が死去したのと時を同じくするのですが、単なる偶然とは思えません。一部のマニアの中にはこの言葉に卑猥で淫蕩な想像をする方もいらっしゃるでしょうけど(いるのか?)、一般市民でノーマルな嗜好の私にとっては単なる肛門科に通うべき一疾病に過ぎませんからね。

もうほんとに私が何をしたというのでしょうか。もっと世の中には私のほかに脱肛すべき人間がたくさんいるはずです。たとえばこれを見て、「またシモネタかよ」と呟く人とか。当事者からしてみれば脱肛もくも膜下出血も同じくらいの危機です。これからどうなるかを考えるのも怖いですね。みなさんはくれぐれもこうならぬよう、摂生に努めてくださいね。

以上、脱肛の怪談でした。(きゃー)

慰めに夕食奢りました。

最近はバイトが忙しめです。しかしそれも明日までの辛抱。実はさきほど、高校時代に囲碁をやっていたという同僚から囲碁のルールを聞きました。囲碁はお互いが「じゃそろそろ終局ですね」という雰囲気になったら終わるらしいのです。これには驚愕いたしました。よくもまぁそんなルールを考えたものです。これを聞いてちょっと囲碁がやりたくなったのは私だけではないはず。ヒカルの碁ブームに乗り遅れたあなたも私とともにイゴイストになろうじゃありませんか。

閑話休題。先日、私の同僚がバイト帰りにチャリを盗まれるという事態に遭遇しました。自転車に付属の鍵をかけていたにも関わらず、だそうです。まぁ鍵と言いましても非常に安っぽいものだったので盗んだ人はちょこっと触るだけではずせたのでしょう。しかし私にはどうしてもチャリを盗みたくなるそのシチュエーションが理解できないのです。人のチャリが欲しくなるときがみなさんにはありますか? 恐らく、チャリを盗むことがライフスタイルに組み込まれている方もいることでしょう。しかしですね、そんなチャリを盗むことが生き甲斐となっている人はあんな安っぽい鍵を突破するのではなく、幾重にも厳重に張り巡らされた防衛を突破して、絶対盗まれないぞとタカをくくってる人のチャリを盗もうとするはずなのです。ということはつまり同僚のチャリを盗んだ犯人というのは、盗みたくて盗んだのではなく何らかの盗まないといけない義務を負っていたと考えるべきです。たとえばどういうことが考えられるでしょうか。

  1. 怖い先輩から「お前、あのチャリ盗んでこいよ」と脅されての犯行。
    →今の時代にそんな先輩がいたら本当に怖いです。
  2. これに懲りて鍵を買うようになることを期待した鍵会社の犯行。
    →狙いは悪くないと思います。しかしチャリまで盗まずに鍵だけ盗んだほうがもっと効果的でしょう。
  3. 自分の仕事をなくさないためのリストラ間近な警察官の犯行。
    →社会が成熟すると警察機構は縮小してしかるべきです。諦めましょう。

まぁいずれの場合にしましても自分がもしチャリを盗まれたら激しく萎えることは間違いないのでやめて頂きたいなと思う次第です。

飛翔

あの深く昏い、冷たく研磨された水の底に君はいた。
変化を忌避し、進化に逆らう君の姿勢は完璧なまでに簡潔で、そして甘美だ。視覚を退化させる闇。
あらゆるものを押しつぶそうとする水圧。
ほとんどの代謝を許さない水温。
こういったものを君は言い訳にしているようだが、これらは全て君を彩る要素であって、
君を定める属性ではないことにもう気づいているのだろう?

君がそこで陶然と夢見るはまだ見ぬ彼の地か。
それとも連綿と続く倦怠に満ちた過去か。

僕にはそれはどちらでもよい。
問題なのは君の意志だ。

迷っているのならば教えておこう。
純然たる決意は必要なだけのポテンシャルを生み、
それはエネルギーへと姿を変えて必ずや君を彼の地へ運ぶ奔流となるだろう。

認めたくないかもしれないが、言わせてもらおう。
君は今からでも、そこを出ることが可能なのだ。
決意が遅すぎるなんてことは、決してないのだから。