天国的に冗長なのも悪くない。

ルクプルの復活を願ってやまない皆さんこんにちわ。彼らの言葉は信じないほうが身のためです。(長い間、待たせてごめん)

こないだまで好きな人が来ていまして、この戯言もお休みしていました。その間、友人からTHE LORD OF THE RINGSのSPECIAL EXTENDED DVD EDITIONなるものを拝借しまして見ていたのですが・・・本編だけで4時間×3、特典映像含めるとトータルで20時間を越えそうなこれはいささかやりすぎだと思いますね、ウン。確かに全体で見ると面白いんですよ。それは間違いない。ただ映画やら書籍やら関わらず、作品の面白さを定量的に比較する上では、面白さの総量よりもそれを鑑賞時間で割った単位時間あたりの面白さを計るべきだと思うんです。時は金なりという格言を持ち出すまでもなく、時間の貴重さというのは誰もが認めるところでしょう。同じ面白さならば短時間で味わえたほうが、より素晴らしい。しかし短くしようとして削っていくと面白さも失われていくわけで、創作というのはこの二律背反から逃れられないのかもしれません。私が知る限り、面白い上に短い話を書ける人は乙一でしょう。テキストサイトでは「母さん」が秀逸ですね。なるほど、そう考えるとこの戯言ももっと簡潔に完結したならば(ちょっと響きがいいですね)人気が出るのかも知れません。人気が出るとどんな良い事があるかということはみなさんの逞しい想像力に委ねますが。余談ですが、この「逞しい」という字はちょっとだけ卑猥ですね。形が。

しかし問題なのは戯言と書いてあるならばそれは冗長さがそこにあるということです。簡潔な戯言というのは果汁0%のオレンジジュースくらいに許されません。いっそのこと、「戯言」はやめて「小言」とでもしようか。。むしろこのサイト名も、風太君人気にあやかって「はばたけれっさーぱんだ」にしたらどうだろうか。。そんなことを考えていたら夜が深まってきたので寝ることにします。おやすみ。

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結構愛着あるんですが。。

海辺のカフカを読んでます。面白いですね。もっと早く読むべきでした。

私が日頃から主張していることの1つに、言葉の重要性というのがあります。言葉というのはとても大事です。相手の態度から相手の気持ちを推測することは可能ですが、それはどれだけ明らかに見えることでも推測でしかありません。言葉に出して初めて正確な気持ちというのが伝わります。だから私はどんなにきつそうに見えても、相手が手伝わなくていい、と言うのならば手を出しません。

それとともに、名前というのも大事です。これは浦沢直樹のMONSTERでもそう書かれていたので間違いありません。漫画に書かれていることは結構正しいです。かの有名なヘレン・ケラーは目、耳が不自由な状態で物事を学んでいったわけですが、最も困難なのはモノには全て名前がある、ということを認識させることだったらしいです。みなさんも言葉を扱うときは指示語や代名詞ばかり使わずに、きちんと名前を言うといいでしょう。そして自分で何かの名前をつける必要があるときは、じっくり考えてつけるべきです。そしてこんなHN診断サイトを参考にしてみても良いかも知れません。

まぁ、私(非水)は思いっきり

050519-01

と断言されちゃいましたが。・・・か、改名しようかな。。

GWの終わりに。

というわけで、「半島を出よ」を読了しました。村上龍とは同郷の好だから、というわけではないのですが、「69」やら「愛と幻想のファシズム」やら「5分後の世界」やら気に入ってる本は結構あります。これは期待通りの作品でとても良かったです。最近は良い映画はあまり巡り合えませんが。

私が本や、映画を評価する1つの基準として、その記述や台詞の中でどれだけ素晴らしい、美しいと思う部分があるか、ということがあります。それはオリジナリティや先見性やユーモアに富むフレーズであったりするわけです。そしてそこに共感できるかどうかというのはさほど重要ではないのです。たとえば、次のような。

四人は、イシハラという人以外は、酒ではなくウーロン茶やポカリスエットを飲みながら、何も話さずにソファにただ座っている。煙草を吸うわけでもないし、音楽を聞くわけでもないし、テレビや雑誌を見ているわけでもない。世間の常識からすると、決して楽しそうに見えない。だがこれもタテノという人に教えてもらったのだが、楽しいというのは仲間と大騒ぎしたり冗談を言い合ったりすることではないらしい。大切だと思える人と、ただ時間をともに過ごすことなのだそうだ。

(「半島を出よ」より引用)

君の出来ること

君は華美な衣装を身に纏い、
「ケモノと人間の違いは、服を着るかどうかだね。その点だけでも、人間が優れていると言えるだろう。」
と言っていたけれど。
僕は服を着なきゃ生きれない人間のほうが劣っていると思ったりもするんだ。
だけどそんなことはおくびにも出さずに、僕は君の顎の先を見つめる。僕は分かっているんだから。
さぁ、服を着よう。君がその無慈悲な生き物を膝に抱え、
「この子がいない生活なんて考えられないわ。私を見たらすぐに擦り寄ってきて、可愛いでしょう?」
と言っていた時も。
僕は一体どちらが愛玩されているのだろう、と首を傾げたくもなるんだ。
でもそんなそぶりはちっとも見せずに、僕は君の整った前髪に目をやる。僕は知っているんだから。
さぁ、家に帰ろう。

君は募金活動やその他のボランティアに参加しては、
「みんながもう少し協力してくれるだけで、たくさんの人が幸せになれるのに。」
と口にするけれど。
僕はブランド物に身を包み、血統書つきのペットを愛で、毎日大量のエネルギーを消費しながらゴミを排出し、公園のホームレスを蔑み、飢えに苦しむ南の人々を憐れみ、募金に協力しない人を非難するという君の現状を指摘してやろうとは思わない。
ただ僕は君の目を見つめる。僕は気づいているんだから。それが君であり、それが君の価値なんだ。

さぁ、明日も生きよう。