もし村上春樹が麻雀していたら。

僕らは牌が卓上にせり上がってくるのをゆっくりと待った。勝負は南4局目を迎えていた。僕は書こうと思えば、そこに至るまでの過程をいくらでも(それこそ誰がいつ何を切ったかというところまで)詳細に書くことができる。しかしそうしたところで、果たして何が変わるだろう。誰がなんと言おうと、この勝負は南4局目を迎えてしまったのだ。
「よっしゃ、ラスや。さっさと終わるで」
そう言いながらホンドダヌキはサイコロを振る。振られたサイコロはまるで眠りを妨げられてうんざりしたかのように、けだるく転がって止まった。彼がラス親であり、しかも今のところ1位だった。
僕はここではハツカネズミと呼ばれている。僕は彼の対面に座っている。手元には2万点ほどがあり、2位か3位だろう。僕の右側にはハイイログマがいた。
彼の大きな体はちょっと背伸びをするだけで隣の牌が覗きこめそうであるし、彼の大きな手は同時に2枚以上の牌を掴めそうでもあった。あるいは、彼は今までもそうしていたかもしれない。僕の左にはアゴヒゲアザラシが座っている。彼は黙々と牌を取りながらしきりに頷いている。首の前後運動選手権がもしあったら、彼は間違いなく上位にランクインするだろう。彼の牌の傍には焼鳥を表すコインが置かれていた。ここまでにあがってないのは彼だけである。そのコインにはマイナス1万点という大きな意味が付与されている。彼はその重い負債をもたらす物を憎らしげに睨んでいる。しかし、ふと僕にはそれは何かの良いしるしのように思えた。僕だけでなく、彼にとってもだ。

最後の勝負が始まった。ドラはチュン。そのめくられたハツは、僕にはひどくよそよそしく見えた。それは中立的なふりをしていながら、僕の側には立っていない。始ってから数巡、手牌はそれほど悪くない。しかしその事実は僕をどこへも連れては行かない。誰だって巡を重ねるごとに手牌は少しずつ悪くなくなっていくのだ。
僕が求めていることは実に明確だった。満貫以上であがることだ。8千点を稼ぐことだ。そうして1位を狙うのだ。それは僕にとってはあまりにも遠い道のりだった。物事というのは、1つ1つの具体的なイメージを段階的に積み重ねることによって前に進んで行く。満貫にたどり着くためには、人はまず役を作るところから取りかからなくてはならない。そして満貫と役を作ることの間には、おそらく20か30の微妙な決断や判断を必要とする過程が存在するはずだ。

勝負は中盤に差し掛かる。僕の手には1枚のチュンが握られていた。まだ誰もチュンを切っていない。ホンドダヌキは既に字牌と役牌で鳴いていた。ドラでもあるチュンを彼が押さえていることだって十分に有り得る。僕は目を閉じて暫く考えようとした。すると正面から声がした。
「目を閉じちゃいけない」とホンドダヌキはきっぱりとした声で言った。
「それも決まりなんだ。目を閉じちゃいけない。目を閉じても、ものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けたときにはものごとはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ、ハツカネズミさん。
僕は言われたとおり目を開けた。ホンドダヌキのほうを見ると、彼も黙ってこちらを見ていた。
「これは理屈でもない。論理でもない。私のわがままでもない。ただの決まりなんだ。君はチュンを切るしかない。立ち上がり、偏見を持って、断固切るんだ。それも今すぐにだ」
彼はそう言葉を発したわけではない。しかし彼の目はそう言っていた。僕はここで、チュンを切らずに勝負を降りることだってできる。あるいは、僕はそうすべきだったのかもしれない。しかし僕は切らないわけにはいかなかった。「これは決まりなんだ」

「ポンッ」と右から声がした。鳴いたのはハイイログマだった。僕は振り込まなかったことにひどく安心した。気を取り直し、顔を上げたその瞬間に僕の左側から硬い声が響いた。
「ロンッ」
あがったのはアゴヒゲアザラシ、そして振り込んだのはたった今チュンで鳴いて手牌を切ったハイイログマだった。僕は唐突に終わった勝負を振り返った。結果として、アゴヒゲアザラシの焼鳥は消え、僕は2位だった。ただそれは単なる結果でしかない。僕はこの勝負からひとつのことを学んだ。それはこういうことだ。
放銃はあがりの対極にあるのではなく、あがりのうちに潜んでいるのだ

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