Smooth Blog を目指して。

「100万回の『愛してる』なんかよりも、ずっとずっと大切にするものがある」って、100万という数を甘くみているとしか思えない。

書くのが遅くなったけど、はるぽんは元気になったみたい。医者曰く突発性発疹とかいう病気だったらしい。今日は奥様は夜勤だし、彼はもう寝てるし、今が一番自由で、平和な時間だと言える。やることはだらだらとネットを見ながら、ブログをいじるくらいだが(笑)

今後はちょっと趣向を変えて、短めの記事を小刻みに更新する方針でいきたい。多くとも、1つの記事がスクロールなしで読める程度には短くしたい。それで頻度が高いほうがなんとなく、「更新してる感」がある気がしないかな。「それがあったから何?」と問われても返す言葉がないので、問わないように。でもあえて言うならば、情報量を平均化したい、出来るだけ連続的な、滑らかなブログにしたい、そんな感情の発露だろう。言い訳がましく聞こえるかな。別に不連続な、離散的な状態が嫌いなわけではない。でもどちらかというと滑らかな、解析的な状態が好ましい。それはなぜかというと微分や積分といった解析的作業が簡単になるからである。一体何の話をしているのか。理解(共感)できる人がわずかにはいると期待している。しかしそうやりたいと思っていても、長続きはしないかもしれない。まぁなるようになるか。今書いていて、以前に「音楽的ブログが云々」と書いたのを思い出した。内容までは思い出せない。それでいくと今度は「滑らかなブログ」か。タイトルみたいに、英語だけ書いても誰も真意を理解しないだろうな。。

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ブログのヴァージョンを1.3にしてみる。

ブログを ver1.3 にアップデートしてみた。今まで色々とカスタマイズしていた分も含め綺麗さっぱり新しくしたので、閲覧に何かと不自由なことが出てきていると思うけど、一時的なものだと思って、あまり気にしないように。このテンプレートもまったくの未加工だし。。

それに伴って、というか、伴う必要はまったくないのだが、ついでに文体も変えることにした。別に敬語のデメリットが云々などという高尚な理由ではなくて、単に気分的な話である。文字数を減らして書く時間も減らそうという意味も少しはあったりするが、逆に書き慣れない分、敬語で書いてしまってそれを修正したりするなど、普段より時間がかかっている(笑)

今回は見栄え等の機能追加だけならアップデートする必要はないのだが、データのエクスポート機能が追加されたので、違うスペースへの引越しを考えた際にどうしてもアップデートする必要があったというわけ。早速今までのデータをXMLで吐き出して保存した。配布されているテンプレートをそのまま使うというのも結構新鮮なので、当分はこれでいくつもりだ。はるぽんがいるといじる時間もあんまり取れないし。。

単位を笑うものは単位に泣きます。

今のタイミングで吉野家のうな丼を食べるのは、なかなかの兵(つわもの)と言って良い。

はるぽんが熱を出してダウンしております。なので休みの後半は看病に追われそうですが、まぁ仕事中じゃなくて良かった、とも言えますか。

物理屋の端くれである私の持論の1つに、「単位を気にしよう」というものがあります。単位といっても進級に必要なヤツではなく、まぁそれも気にしたほうが良いのはもちろんですが、今回の話は物理量の単位です。これはもう何度でも主張したい。エンジニアは単位をないがしろにしてはいけない。会話の中では省略することもまぁアリでしょうけれど、文章ではきっちり書くべきです。ちょっといくつか例を挙げて考えてみましょう。

何かの紙に自分の身長、体重、その他様々な情報を書くとします。この時、「180センチ、60キロ、・・」とか書いていないでしょうか。ごくごく基本的なことですが、センチとかキロとかミリとかは10のべき乗を表す接頭辞であって、何かの物理量を明示するものではありません。慣習として 10-2 を意味するセンチは長さにしかほとんど使われず、口語では十分通じますが、文章にすると凄く違和感があります。キロやミリに至ってはもはや何を答えているのか分かりません。

単位に神経質になると、どんな良いことがあるのかを見ていきます。例えば山歩きをしていて、物凄く重そうな、それこそ栃東関に匹敵するくらいの女性が遭難しているのを発見したとします。あなたはなんとか彼女を救出しなければなりません(といっても、決して彼女を転がしながら下山してはいけません)。すぐに思いつく妥当な方策は、彼女を背負って下山することです。ここで背負う前に、自身の安全のために彼女の体重を聞いておく必要があります。「失礼ですが、あなたの体重を教えて頂けませんか?」とあなたはジェントルに聞くわけです。すると彼女は俯き加減に「50キロです」と答えました。もしあなたが単位に無頓着な人ならば、次の2通りの可能性があります。1つは、その答えを鵜呑みにして、現実に目を向けずに「50キロならなんとかいけるな」と思い込み、彼女を背負った直後につぶれ、遭難者が1名増えます。もう1つの可能性は、明らかに50キロは嘘だろ、と考えて「嘘つくな、ボケ!」と罵倒してしまい、彼女は心を閉ざし、あなたも非常に後味が悪いまま1人で下山することになります。

しかしもしここであなたが単位にこだわる人ならば、彼女の返事を聞いてこう思うでしょう。「50キロって言ってるけど、どう見ても50キログラムには見えないな。もしかしたら、違う単位で答えているのかもしれない」 そこであなたは念のためこう問い直します。「50キロというのは、50キログラムのことですか?」と。すると女性は言いました。「いいえ、50キロ匁(もんめ)です」と。これを聞くとあなたは「ああ、なるほど」と納得するでしょう。1匁とは 3.75g のことですので、50キロ匁は 187.5kg に相当します。そうなると「これは私が背負って運ぶには荷が重いな」ということになって、「助けを呼んで参りますのでここを動かないで下さい」とまたまたジェントルな対応ができます。

いかがでしょう。単位にこだわることの大切さを理解頂けたでしょうか。お互いに円満なコミュニケーションを図るためにも、単位と正確に言うのはとても大事です。スリーサイズなんてのがありますが、あれも数字だけ言うなんて論外です。例え「バストは100センチ」と聞いたとしても、それは「100センチメートロというオリジナルの単位で、1メートロ = 0.75メートル、即ち実質 75cm のことなのではないか?」と想像するくらいの注意深さが必要です。同様に「月給50万!」などというアルバイトの求人を見たとしても、「50万ルピアではないのか?」と疑うべきです(ルピアはインドネシアの通貨で、50万ルピア = 約6000円)。私は日頃からこういった可能性まで想定して生活していますので、何か数字を聞いて実際の想像と違っていただとか、アテがはずれただとか、そういった経験は皆無と言ってよいです。みんなこのくらい慎重だったら、詐欺なんてのも減るのになぁ。。

時が経つのが早いのは、誰のせい?

今年はティッシュ王子が台頭すると踏んでいたのだが。

私はまだお盆休みですが奥様は今日から仕事らしいです。甲子園でも見ながらはるぽんと留守番の日々。今日は、私の現在の mixi の写真が美しい砂時計であることにちなんで(こじつけて、ではないよ)、「時間」について語りましょう。がしかし時間について語ると言っても、あまり哲学的な話をしてもしょーがないし、かと言って数式をずらずら書くのも大変だし、なかなか難しいものですね。とりあえずつらつらと書き並べることにします。

時間の進み方が絶対的なものではない、即ち観測者の座標系によって、時間の進み方が異なる、ということに気づいたのは20世紀の物理学の重要な成果です。これは次のような事態を発生させます。

AさんとBさんが宇宙船に乗って、宇宙旅行をしてきました。簡単のため、2100年1月1日から2109年12月31日までの10年間、平均して光速の90%の速度で進み、地球に帰還したとします。AさんとBさんはもちろん10歳だけ年を取っています。じゃあ地球にいる人たちはどうでしょうか。地球の人たちから見れば、自分たちは止まっていたのに対し、AさんとBさんは光速の90%の速度で運動していたことになります(いや、地球の公転や銀河系の回転がある、と思われるかもしれませんが、光速の90%と比較すればそれらは無視できる数字です)。すると時間の進み方はどうなるか。2つの座標系間にはローレンツ変換という関係式が成り立ちます。これで時間の遅れ具合を計算すると、光速の90%という速度ならば宇宙船の1秒間は地球上の人の約2.3秒間に相当します。10年後に帰ってきたら、地球では23年が経過しているのです。この時間の遅れ(早まりと言っても同じことですが)は実験で確認されている事実で、ウラシマ効果などと呼ばれたりもします。

ここまでなら、普通の話(?)です。さて、宇宙船という密室の中では実に様々なことが起こり得ます。宇宙船の中でAさんとBさんがとても仲良くなって、子供を産んだとしましょう。その子供(女の子としましょう)の生年月日はいつなのでしょうか? 宇宙船内での時計で、きっちり5年後にその子が誕生した場合、地球は2111年7月1日です。これを戸籍に書くべきか、あるいは2105年1月1日と書くべきか。彼女はいつ免許が取れ、お酒を飲み、結婚することができるようになるのでしょう。あるいは、AさんとBさんが仲違いして、ちょうど5年後にAさんがBさんを殺害したとしましょう。Bさんは何年に、何歳で死んだことになるのでしょう。

光速の90%なんてのは当分不可能ですが、これと同じ事態はいずれ起こります。その時までに人類が存続していれば、法律、社会制度を整備しないといけません。相対性理論なんてものは物理学者だけ知っていれば良い、というわけにはいかないのです。ただし巷(特にネット)の「相対性理論解説」には嘘が溢れていますので、勉強する際には注意が必要です。このサイトも人のことは言えない可能性大ですが。「時間」を考えようとするとどうしても相対性理論の話題になりがちですね。実は量子論からの帰結としても面白い事実がありますが、長くなったので次回に書きます。そのうち病院の診察で、「あなたの余命は、固有時で残り1年です」なんて言われる時代が・・・多分来ないだろな。

久しぶりに水の話でもしようか。

なるほど、確かに「ワードやエクセルを上手に扱えるからと言って、それで本質的に仕事ができる、ということではない」という意見には一理ある。ところで1つ訊きたいのだが、あなたは勤務時間中の何割を、その「本質的な仕事」に費やせているだろうか?

待ちに待ったお盆休み突入です。諸々の大人の事情で、特に実家とかに帰ることもなく、家でダラダラと過ごすことになりそうです。

通勤時間に電車内でキョロキョロと辺りを眺めていましたら、クリスタルクララという会社の広告が吊り下がっていました。「クリスタルクララのROフィルターは 0.0001 ミクロン」みたいな謳い文句で、よーするに普通の浄水器では取り除けない不純物を取り除いたクリーンな水をお売りしますよ、ということです。こういうのを見ると疑わずにはいられない疑心暗鬼な私なのですが、まずミクロンという単位を使ってる時点で怪しい。なんなんだ、ミクロンて。しかも 0.0001 て。分かりにくいことこの上ない。 0.1nm (ナノメートル)か 100pm (ピコメートル)、もしくはせいぜい譲っても 1Å (オングストローム)と言ったら良いのではないか? そうすれば、水分子の水素原子-酸素原子間の距離がちょうど約 1Å だから、その孔の小ささが分かる。つまり水分子の腕の長さと同じと主張しているわけだ。・・・と電車内では考えていたのですが、家に帰ってぐぐってみると、 0.0001 ミクロンというのが結構たくさんひっかかります。他の膜のサイズをミクロンで書いているから、逆浸透膜もそれに合わせて分かりやすいようにミクロンで書いているのでしょうか。それでも多い気がしますけどね。世間は 0.0001 ミクロンが流行っているのか?

Wikipedia によると逆浸透膜の孔のサイズは大体 2nm 以下、水分子の大きさは 0.4nm 程度だそうな。ファンデルワールス半径などを考慮するとそのくらいあるのでしょう。いくら圧力をかけると言っても、 0.1nm の孔に 0.4nm のカタマリを通すのは無理じゃないかなぁ。別に Wiki を盲信するわけでもクリスタルクララという会社を非難したいわけでもなく、ただ 0.0001 ミクロンは嘘っぽいなぁ、というだけです。こういった会社にいる人は、「水分子より小さいんですけど、いいんですかね? 誰かに突っ込まれませんかね?」とか思わないのでしょうか(笑)

またまた水の話をしてしまいましたが、世の中には科学的根拠が薄弱ながら、「体に良い」と主張する商品が多いです。どうせ科学的根拠がないならば、「体に悪い」と主張したほうがまだ社会の役に立つ気がしますが、あまりそんな商品は見かけませんね。しかしどれだけ書いてあることが科学的でなくても、常にプラシーボ効果というものが付きまといますから、叩いてもしぶとく生き延びます。きっと占いとか、最近のスピリチュアルと呼ばれるものと同じで、信じたい人は信じたらいいのでしょう。科学も信仰のひとつと言えるかも知れません。ただ、実験によって証明可能、再現可能であるという違いだけですね。

飛んでいったら、現代のイカロスを名乗ろう。

「倖田來未なんて全然可愛くない」と思うのは結構だが、それは声を上げて主張するほどのことかい?

あと1週間で待望のお盆休みです。頑張って乗り切りましょう。私の奥様がもう仕事に復帰されているので、保育園が休みの土日は私とはるぽんで留守番というのが結構あります。この文章も彼が寝ている隙にしか書けません。さて、一気に書けるでしょうか。。

仕事をやっていると、「んん? どういうこと?」と相手に問い質したくなることがしばしばあります。まぁ別に仕事に限った話でもないのですがね。テレビや、他人の話を聞いていても然りです。それはどういうことかと言いますと、私は何かの物理量について議論する場合、単位を非常に気にする性格なのですよ。単位というか正確には次元というべきですね。別に mm か m か km か、とかそんなんはどうでも良いのです(常識的な単位でありさえすれば)。しかし、 m なのか m^2 なのかというのは、全然どうでも良くはありませんよね。たとえ本人がちょっとした書き間違いじゃないか、と主張したとしても、私はこの人は分かってないんだな、と思ってしまいます。

書く時だけの問題ではありません。たとえば議論していて、「銅と鉄ってどっちが抵抗値低い?」と聞かれた場合。真面目でかつ大人な人は、「銅ですね」と答えるでしょう。ちょっと賢くて機知に富んだ人ならば、「どうでしょう?」なんて笑いながら言うかもしれません。私も一介のサラリーマンですのでこれらの返答をしますが、心の中では、「この人分かってるのかな?」と思ったりしてしまうわけです。なぜかと言うと、電気抵抗値と電気抵抗率は違うからです(もっと言えば電気でなく熱抵抗なんてのもありますが、それは勘弁するとしましょう)。「抵抗値」と言ってしまった場合、それは形状因子に左右されることになります。対象の断面積を大きく、長さを短くすれば、同じ材質でも抵抗値はいくらでも小さくできます。あるいは皆さんの中には、「材質だけで比較している時点で、抵抗値ではなく抵抗率について話していると分かるだろう」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし本当に分かっている人ならば、最初から「抵抗率」と言うんじゃないかなぁ、というのが私の意見です。

同様のことは結構あって、電流か電流密度か、圧力か力かモーメントか、重量なのか質量なのか、などなどその辺の言葉に敏感に反応してしまいます。もちろん、厳密に言うと逆に分かりにくくなる場合など、あえて一般的によく使われている方の言葉を使ったりするというのは有り得ます。でもその場合でも、自分はきっちり認識しているべきで、指摘された時に誤魔化すような真似はしたくないものです。皆さんは今挙げた言葉の違い(次元の違い)を理解されていますか? 日常でよく混同されがちなのが、重量と質量ですかね。前者は単なる(?)力ですね。ベクトルとスカラーという違いももちろんありますが、もっとも分かりやすいのは、重量はマイナスがあるけれど質量にマイナスはない、ということでしょうか(別に、マイナスの質量が禁止されているわけではないですが)。ヘリウムガスを詰めた風船につかまって体重計に乗ると、どうなるでしょう? ちなみに、同じ原理で体重計に乗る前にヘリウムガスを吸い込んでみると良いことがあるのでは?と思われるかもしれませんが、それをやるくらいなら、体重計に乗る時に息を全部吐いたほうが良いと思います。3g くらい軽くなることが期待されます。