カテゴリー別アーカイブ: 私的詩的指摘

リップクリーム

リップクリームってやつがあるね。唇が乾燥したときに塗る、あれ。でもどこかで読んだんだけど、あれを塗るのはあんまり良くないらしい。良くないっていうのは、あれを塗ることによってもちろん一時的には唇の乾燥はなくなるんだろうけど、そうやって乾燥する度に塗っていくうちに、唇が本来備えている潤おうとする働きが失われるらしい。気持ちは分かる気がするね。乾燥する度に塗ってくれるなら、自身は何もしなくなるのも自然なこと。

だからみんなリップクリームを塗るのはやめなさい、なんて言うつもりはさらさらなくてね。塗りたければ塗ったらいいんだよ。自分の唇なんだし。塗らないと生きていけないんだ、と信じている人もいるだろう。それは別に良い。僕が何より気に入らないのは、自分が塗ってるからといって、それを他人にまで勧めてくる人たちだ。その人の唇が乾燥しているかどうかとかそういったことは一切考えず、素晴らしいから君もやりなさい、とバカの一つ覚えのように言ってくるやつら。あなたにとってどんなに素晴らしくとも、残念ながら僕には全く必要がないんだ。たとえ乾燥することがあったとしても、そんなものを使う気はないんだ。

分かるかな? 人に宗教を勧めるっていうのは、これと同じくらいに愚かだということが。人数を増やしたいという君たちの事情なんて、知ったことじゃないんだよ。頼むから、乾燥していない人の唇にリップクリームを塗りつけるような、そんな迷惑なことをしないでくれ。

大丈夫だよ、

楽しいことは
高層ビルを建造するかのようにゆっくりと1つ1つ積み上げていかないといけないけれど
悲しいことは
まるで部屋の明かりを灯した時に一瞬で伸びる影のように、音もなく、気づけばそこにある。

僕は、傷ついた君を愛撫してあげたいと思うけれど
でもそれは、僕の役目ではないとも思ってしまう。

かけるべき言葉を探しても
悲しくて
指の隙間からこぼれ落ちる水のように
言葉にならない。

迷って
悩んで
ようやく紡ぎ出した僕の想いは

「それでも、君のことが大好きだよ」

高校時代の恩師へ宛てた手紙

前略
中野先生、お元気でしょうか。「便りがないのは良い便り」という古人の教えを忠実に守って、現在までご無沙汰しておりましたが、このままでは近況が全く伝えられないことに気づき、遅ればせながら筆を執った次第です。クレームがあれば私にではなく古人にお願いします。

早速ですが、ご報告致します。過日、7月14日に子どもが誕生しました。私が産んだ訳ではないので確証はありませんが、恐らく私の子どもであると思われます。男の子で、名前は「遥基(ハルキ)」としました。私が考えた名前ですが、周囲からは非難轟々で驚きました。特に私の奥さんの両親や姉らは口々に自分の理想の名前を挙げておりましたが、誰一人その理想の名前を自らの子どもにつけていないのが不思議でなりません。きっとこれから先も子どもを産むつもりで、その時のために使わずにとっているのでしょう。

今回は産婦人科で出産だったのですが、その設備の素晴らしさに驚きました。出産後約1週間は入院という形だったのですが、部屋は個室でホテル並みの快適さです。あの病院の看護師は家に帰るよりあそこで寝泊まりしたほうが良いくらいです。私は出産の際、付き添って病院にいたのですが、生まれたばかりの遥基を触ることはできず(衛生上の理由でしょう)、その日はガラス越しに眺めることしかできませんでした。しかし私はそれでもめげずにガラスにジダンばりの頭突きをかます勢いで近づき、遥基を仔細に観察しました。その表情や仕草はまるで生まれたての赤ん坊のようでした。

恐らく中野先生は、私が高校を卒業して4年半足らずで家庭をもち、子どもを作るなどとは予想もしていなかったのではないでしょうか。実は私も予想外でした。しかし私は完璧なライフプランというものを幼いころから練っておりました。それはまず人生の期間を4等分し、最初のクオータは親のために生き、次のクオータを自らの子どものために生き、第3クオータを自分のために生き、最後のクオータを奥さんのために生きるという計画です。今はまさに第1クオータから第2クオータにさしかかったところと言えるでしょう。このまま順当にいけば、40代初めで子育てから解放されますので、そこから思う存分第3クオータを楽しむつもりでいます。その後はもちろん、私の大切な奥さんのために第4クオータを丸々とっておいてあるのですが、その頃になると私の意識は混濁し、肉体は衰弱し、このライフプランを実行に移せない可能性があることが唯一残念でなりません。

中野先生に教わった1年間は、今でも意義深く、思い出深いものになっております。泊まり込みで勉強の合宿に行った際、先生は我々3年生全員に「見る前に跳べ!」とおっしゃいましたね。数学というのは論理性が重視される学問であり、それを教えている自分が「跳ぶ前に見よ( Look before you leap.)」と言わずに「見る前に跳べ」というのは、歴史学者が「あんまり過去のことを振り返るな」と言うのと同じくらい矛盾しているが、それでも言わずにはいられない。こんなニュアンスだったと思います。正直に言いまして、小、中、高と多くの先生に教わりましたが、私はその先生が語ったことのほとんどを覚えておりません。しかし高校3年生の1年間を教わった中野先生の言葉は上に挙げた他にも色々と覚えています。このことから分かることは、私は17、8歳くらいになってようやく人の話を覚えられるほどの記憶力を手にしたということです。恐らく、物心ついたのが16歳くらいなのでしょう。その意味で、中野先生は運が良かったと言えます。

なかなか書きたいことが尽きませんが、今回はこのくらいにしておきます。これからも多くの生徒に数学を、あるいはそれを通じて先生の稀有な価値観を教えていかれることを期待します。しかし、職務に邁進しすぎて体調を崩されないよう、くれぐれもご自愛下さい。

追伸
もし関西に遊びに来られる折には、ぜひ声をかけて下さい。気候が温暖で人も少ない場合に限って、名所を案内致しますので。それ以外の季節でも、私の自宅に来られる場合は大歓迎です。

もし村上春樹が麻雀していたら。

僕らは牌が卓上にせり上がってくるのをゆっくりと待った。勝負は南4局目を迎えていた。僕は書こうと思えば、そこに至るまでの過程をいくらでも(それこそ誰がいつ何を切ったかというところまで)詳細に書くことができる。しかしそうしたところで、果たして何が変わるだろう。誰がなんと言おうと、この勝負は南4局目を迎えてしまったのだ。
「よっしゃ、ラスや。さっさと終わるで」
そう言いながらホンドダヌキはサイコロを振る。振られたサイコロはまるで眠りを妨げられてうんざりしたかのように、けだるく転がって止まった。彼がラス親であり、しかも今のところ1位だった。
僕はここではハツカネズミと呼ばれている。僕は彼の対面に座っている。手元には2万点ほどがあり、2位か3位だろう。僕の右側にはハイイログマがいた。
彼の大きな体はちょっと背伸びをするだけで隣の牌が覗きこめそうであるし、彼の大きな手は同時に2枚以上の牌を掴めそうでもあった。あるいは、彼は今までもそうしていたかもしれない。僕の左にはアゴヒゲアザラシが座っている。彼は黙々と牌を取りながらしきりに頷いている。首の前後運動選手権がもしあったら、彼は間違いなく上位にランクインするだろう。彼の牌の傍には焼鳥を表すコインが置かれていた。ここまでにあがってないのは彼だけである。そのコインにはマイナス1万点という大きな意味が付与されている。彼はその重い負債をもたらす物を憎らしげに睨んでいる。しかし、ふと僕にはそれは何かの良いしるしのように思えた。僕だけでなく、彼にとってもだ。

最後の勝負が始まった。ドラはチュン。そのめくられたハツは、僕にはひどくよそよそしく見えた。それは中立的なふりをしていながら、僕の側には立っていない。始ってから数巡、手牌はそれほど悪くない。しかしその事実は僕をどこへも連れては行かない。誰だって巡を重ねるごとに手牌は少しずつ悪くなくなっていくのだ。
僕が求めていることは実に明確だった。満貫以上であがることだ。8千点を稼ぐことだ。そうして1位を狙うのだ。それは僕にとってはあまりにも遠い道のりだった。物事というのは、1つ1つの具体的なイメージを段階的に積み重ねることによって前に進んで行く。満貫にたどり着くためには、人はまず役を作るところから取りかからなくてはならない。そして満貫と役を作ることの間には、おそらく20か30の微妙な決断や判断を必要とする過程が存在するはずだ。

勝負は中盤に差し掛かる。僕の手には1枚のチュンが握られていた。まだ誰もチュンを切っていない。ホンドダヌキは既に字牌と役牌で鳴いていた。ドラでもあるチュンを彼が押さえていることだって十分に有り得る。僕は目を閉じて暫く考えようとした。すると正面から声がした。
「目を閉じちゃいけない」とホンドダヌキはきっぱりとした声で言った。
「それも決まりなんだ。目を閉じちゃいけない。目を閉じても、ものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けたときにはものごとはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ、ハツカネズミさん。
僕は言われたとおり目を開けた。ホンドダヌキのほうを見ると、彼も黙ってこちらを見ていた。
「これは理屈でもない。論理でもない。私のわがままでもない。ただの決まりなんだ。君はチュンを切るしかない。立ち上がり、偏見を持って、断固切るんだ。それも今すぐにだ」
彼はそう言葉を発したわけではない。しかし彼の目はそう言っていた。僕はここで、チュンを切らずに勝負を降りることだってできる。あるいは、僕はそうすべきだったのかもしれない。しかし僕は切らないわけにはいかなかった。「これは決まりなんだ」

「ポンッ」と右から声がした。鳴いたのはハイイログマだった。僕は振り込まなかったことにひどく安心した。気を取り直し、顔を上げたその瞬間に僕の左側から硬い声が響いた。
「ロンッ」
あがったのはアゴヒゲアザラシ、そして振り込んだのはたった今チュンで鳴いて手牌を切ったハイイログマだった。僕は唐突に終わった勝負を振り返った。結果として、アゴヒゲアザラシの焼鳥は消え、僕は2位だった。ただそれは単なる結果でしかない。僕はこの勝負からひとつのことを学んだ。それはこういうことだ。
放銃はあがりの対極にあるのではなく、あがりのうちに潜んでいるのだ

君の出来ること

君は華美な衣装を身に纏い、
「ケモノと人間の違いは、服を着るかどうかだね。その点だけでも、人間が優れていると言えるだろう。」
と言っていたけれど。
僕は服を着なきゃ生きれない人間のほうが劣っていると思ったりもするんだ。
だけどそんなことはおくびにも出さずに、僕は君の顎の先を見つめる。僕は分かっているんだから。
さぁ、服を着よう。君がその無慈悲な生き物を膝に抱え、
「この子がいない生活なんて考えられないわ。私を見たらすぐに擦り寄ってきて、可愛いでしょう?」
と言っていた時も。
僕は一体どちらが愛玩されているのだろう、と首を傾げたくもなるんだ。
でもそんなそぶりはちっとも見せずに、僕は君の整った前髪に目をやる。僕は知っているんだから。
さぁ、家に帰ろう。

君は募金活動やその他のボランティアに参加しては、
「みんながもう少し協力してくれるだけで、たくさんの人が幸せになれるのに。」
と口にするけれど。
僕はブランド物に身を包み、血統書つきのペットを愛で、毎日大量のエネルギーを消費しながらゴミを排出し、公園のホームレスを蔑み、飢えに苦しむ南の人々を憐れみ、募金に協力しない人を非難するという君の現状を指摘してやろうとは思わない。
ただ僕は君の目を見つめる。僕は気づいているんだから。それが君であり、それが君の価値なんだ。

さぁ、明日も生きよう。

飛翔

あの深く昏い、冷たく研磨された水の底に君はいた。
変化を忌避し、進化に逆らう君の姿勢は完璧なまでに簡潔で、そして甘美だ。視覚を退化させる闇。
あらゆるものを押しつぶそうとする水圧。
ほとんどの代謝を許さない水温。
こういったものを君は言い訳にしているようだが、これらは全て君を彩る要素であって、
君を定める属性ではないことにもう気づいているのだろう?

君がそこで陶然と夢見るはまだ見ぬ彼の地か。
それとも連綿と続く倦怠に満ちた過去か。

僕にはそれはどちらでもよい。
問題なのは君の意志だ。

迷っているのならば教えておこう。
純然たる決意は必要なだけのポテンシャルを生み、
それはエネルギーへと姿を変えて必ずや君を彼の地へ運ぶ奔流となるだろう。

認めたくないかもしれないが、言わせてもらおう。
君は今からでも、そこを出ることが可能なのだ。
決意が遅すぎるなんてことは、決してないのだから。