二酸化炭素を下さい。

真顔でマックの店員に「スマイルください。お持ち帰りで」なんて言えないシャイな非水です。みなさんこんにちわ。それにしましても、羞恥心というのは不思議ですね。人類はどの段階でそれを獲得したのでしょう。子供の成長過程でどのように羞恥心が育っていくかということについて語った文章はよく見ますが、人類の進化の過程でどのように獲得したか、というのは見たことがありません。これは誰が研究しているんでしょうね。文化人類学か、それとも大脳生理学あたりでしょうか。

この羞恥心が高度に文化的な社会を形成するのに不可欠なのは間違いないでしょう。先日、私も大変恥ずかしいことをやってしまいました。私は寒い日はセブンイレブンでおでんを大量に買って食べるのがもはやライフワークとまでになっているのですが、その日の店員は可愛い女性で、私は自分でおでんは取らない主義なので彼女にとってもらおうとして、
「おでんとってもらえますか?」
と言おうとしたんですね。ところが口をついて出た一言が
「大根とってもらえますか?」
きゃー。間違いではない、私は大根を必ず2個は買うので間違いではないのですが無性に恥ずかしい。間違えすぎて男根と口走っていたなら私は自動ドアに体当たりしながら逃走していたでしょうが、それはセーフ。彼女は別にニヤッと笑ったりなんてしていないのだけど、とてもとても恥ずかしくて胸が締め付けられるような、動悸が激しくなって少し息苦しささえ覚えるほどの、・・・はっ。これってもしかして・・・恋かしら?(過呼吸です)

参加賞の一本としてね。

昨日の戯言はちょっと頑張りすぎました。あれだけで原稿用紙3枚分ですからね。あれを書く時間があるならもっと有意義なことをやるべきだ、という意見がありますが、そういう人には私は「ミヒャエル・エンデのモモを読みなさい」と言うでしょう。知らぬ間に灰色の男たちの手先になっていることに気づくかもしれません。

それはさておき、今日も一つ面白い入試問題を紹介しましょう。埼玉にものつくり大学という大学があります。ここは詳しくは知りませんが、まぁ批判もそれなりに多い大学なのですが、ここの建設技能工芸学科の総合試験というのは大変ユニークです。2002年度の問題はこうです。

□問題
与えられた割り箸と輪ゴムを用いて、以下の(1)~(3)の条件を全て満たす橋を製作しなさい。
(1)42cmの川幅をまたぐ橋であること。42cmの間に支柱を設けてはならない。
(2)橋の中央に缶ジュース1缶載せることが可能で、そのとき橋の一部が川の表面に触れないこと。ただし缶ジュースの中身は飲んではならない。
(3)割り箸と輪ゴムは切ったり削ったりしても良いが、補充はしない。

これを試験時間210分で終わらせないといけません。210分というのは充分なようで、難しい気がします。私が今から作り始めたとして210分では絶対に作れないでしょうね。ですが工作が好きな人や得意な人は案外簡単に作ってしまうのでしょう。大学としてもそういう人を入れたいわけで、非常に良い入試問題と言えるんじゃないでしょうか。ただ、これを狭い机の上で作らないといけないのであればかなりのストレスになって思うようにいかない人も多そうですよね。床に座り込んで自分の周りに材料をばらまいて製作できたら、間に合ったのにという人もいるかもしれません。

どうでも良いのかもしれませんが、缶ジュースを立てて置くか、寝せて置くか書いていないのはわざとなんでしょうかね・・。それによって橋の構造が違ってきそうです。そして私が思うに、割り箸を割りまくった挙句、橋がとうとう作れないほどになってしまって、しょうがないから腹いせにジュースを飲んで帰った受験生が必ず一人はいることと思います。

もし実践された方はご連絡下さい。

そろそろホワイトデイなる日が近づいています。バレンタインデイで家族以外の誰からもチョコを貰えてない皆様方の中には、これは自分に無縁なイベントだと思っておられる人もいらっしゃるでしょう。もうその辺の考え方からしてアウトですね。いい加減固定観念を拭い去りましょう。女性からの告白の1ヶ月後に男性がお返しをするのであれば、男性からの告白の11ヵ月後に女性がお返しをしたっていいじゃありませんか。そう、すなわち女性は少なくともチョコをあげた男性からしかプレゼントを貰えないと信じきっていますので、ここで突然思いもよらぬ男性からプレゼントがあったならばその女性の心はもうあなたのもの。11ヵ月後にはあなたにとって人生初の本命チョコをもらえること間違いなしです。

というわけで今日はプレゼントなんて買ったことのない皆様にアドヴァイスをいたすことにしましょう。まず大事なことは何をプレゼントするかです。最初のプレゼントでいきなり高価な物だと受け取って貰えない可能性が高いので、それなりに安価だけど心のこもったものを贈ると良いでしょう。私はここではケーキを提案したいと思います。これは決して私の家の近くにケーキ屋があるからとかそういう理由ではないですので誤解なさらぬよう。多くの女性はケーキが好きでしょうし、そんなに馬鹿高くならない点が魅力です。

さて、戦いはケーキを買いに行くときから既に始まっています。申し上げにくいですが、皆様が普段どおりの服装、様相でケーキ屋さんに行かれましたならばそこの店員はあなたを一瞥したあと、「またヒキヲタが糖分を求めてきやがったか」と内心呟いてしまいます。そうなってしまったらもう後の祭り。店員になめられて売れ残りの賞味期限ギリギリのケーキを渡されることになり、あなたの計画は脆くも崩れ去ります。よって店に行く前に1時間くらい入浴して、服も2回くらい洗濯することをお勧めします。

準備万端で店内に入りました。少しばかりケーキを物色した後、おもむろにケータイを取り出してメールを打っているように見せましょう。これを見た頭のちょっと弱い店員は、「あら、この人はいま相手にどのケーキが好きかを聞いてるんだわ」と一人で勝手に勘違いしてくれます。そしてさも返信メールを受け取ったかのように振舞った後に、どれでも良いので適当にケーキを買いましょう。ぶっちゃけ何を買ってもよいです。ここで、メールじゃなくて電話してる振りをしたほうが確実じゃないか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに店員がそれを見たらメールよりも確実でしょうが、それは高度な演技力が要求されるとともに、その最中に本当に着信があったら速攻で演技とばれてしまうという諸刃の剣。素人にはお勧めできません。

さて、無事にケーキを買われましたなら、後は頑張ってそれを意中の人に渡してください。手段はご自分で適当に考えてください。私が思うに、一緒にケーキを食べるというシチュエーションがベストでしょう。いきなりケーキを渡されたならば何か変なものが入っているんじゃないかしら、と訝しんでしまう女性も、一緒に食べるのであれば安心するでしょう。これでもう11ヵ月後が楽しみですね。

最後に、一緒に食べようとしても拒否られたり、あるいは快く受け取ってもらえたけれど家に持って帰って処分されてしまったりしたとしても、それはあなたの渡し方がまずかったか、あなたの顔面のスペックが低すぎたかのどちらかであって、私のせいではありません。しかも、たとえ受け取ってもらえなかったとしても本当に事の成否がわかるのは11ヵ月後ですのでまだ希望を捨ててはいけません。きっとあなたの気持ちは届いたはずです。そして私へのクレームは11ヵ月経つうちに忘れ去られ、きっと届かないでしょう。

進化のスピードをなめちゃいけない。

私のバイトの同僚と一緒に夕食をとっていた時のことです。彼は電気情報工学が専門でハード、ソフト両方を勉強しているのですが、PCの話題からMobileへと移って議論していましたら、彼が熱くこんなことを語りました。

「携帯電話をケータイと略したやつが一番素晴らしい」

私はそれを聞いてなるほど、と唸ってしまいました。すなわち、「携帯電話」を普通に略そうとしたらケイデンとなりそうなものです。ところが現状はどうですか。携帯電話といいつつも電話の比重はとても小さくなり、メールやネットへのアクセスができたり、テレビを見れたり、写真、動画を撮影できたり、音楽をダウンロードして聴けたり、リモコンになったり、お財布になったり、あるいは目覚まし時計にもなるというこの多機能ぶり。電話とは機能の一部分に過ぎなくなりました。このことを考えるとケータイと略したことは先見の明があったのではないか、と彼は評価しているのです。

・・・ということは。ここからが本題なのですよ。我がクラン名「はばたけもるでぃ」をどう略せばよいか、という疑問の答えを上の例が示してくれているのではないですか。現状ではモルディは確かにはばたいています。でもだからといって「はばもる」と略してはいけないことが分かりました。つまり、将来モルディがメールやネットへのアクセスし、テレビを見、写真、動画を撮影し、音楽をダウンロードして聴き、リモコンやらお財布やら目覚まし時計やらを持って、ほとんどはばたかなくなったならば、平成生まれの子供はお母さんに、「ねぇ、はばもるのはばって何のこと?」と聞いちゃうようになってしまうのです。

以上の推論から、我がクラン名は略すときはもるでぃ、と略して欲しいという結論に至ります。これをご覧になった皆様、どうぞよろしくです。

一言多いのが私の仕様です。

たまにはAcademicな話をしましょう。私のことをよく知らない人がこのページを見て、私を馬鹿だと思ってもらっては困りますのでね。時折こういう話を織り交ぜることでコアでパーソナルな女性のハートをがっしり鷲掴み(死語)。私の女性ファンも増えるし、我がクランの女性メンバーも増えて良いことづくめです。むふふ。

地球のある地点から、地球の中心に向かって地面を掘っていってその裏側にまで貫通する地底トンネルがあったとしましょう。日本から掘ったら南米のどっかに出るのでしょう。ここでそのトンネルの片方の入り口から、物体を静かに落下させたとします。当然初速度ゼロで地球の中心へと落ちていくこの物体は、その後どういう運動をするのでしょうか? なお、空気との摩擦などのエネルギーの損失はないものとします。

これは厳密にやろうとしたら大学院入試問題のレベル(類似の問題が東大院試でありました)なのですが、ある程度直観できる人もいるでしょう。答えは地球の中心を中心として、一定の周期で単振動します。つまり、日本から静かに手を離して落下させたボールは最初グングン加速して地球の中心を最高速度で通過し、その後だんだん減速して裏側に出たとき、速度はゼロとなります。するとそこで誰も触らなければ、またボールは中心へと落ちていってもとの場所に戻ってくる。その繰り返しとなるわけです。じゃあその周期、すなわち往復に要する時間はどのくらいなのか? という問題が今年の東大の物理の問題でありました。単振動となることを厳密に示すのは大学レベルですが、単振動になるとしてその周期を求めるのは高校レベルというわけです。まぁこれを頑張ってカリカリ計算しますと、

T/2=π√(R/g)

となります。Tは周期、Rは地球の半径、gは重力加速度です。Rとgを代入すると、

T/2=2.54×10^3 (秒) ≒ 0.71 (時間)

です。これはつまり、地球の裏側に行くのに、このトンネルに静かに落ちれば0.7時間で行くことができちゃうわけです。・・・とまぁ、ここまではほとんど単なる数学であってあんまり物理をやっていませんね。この意味をもう少し考えてみましょう。確かに地球の球面に沿って裏側に移動するより直線距離で移動したほうが早いですが、このトンネルの移動は全く動力を必要としていません。何もエネルギーを使わずに1時間もしないで裏側までいける、そんなことがありえるのでしょうか。常識的な人は信じられないかもしれませんが、この計算は本当にどこにもミスはなく、摩擦などがないと仮定すれば実際こうなります。なぜこんな事が可能なのかを説明しろと言われると結構難しいですが、これは一言で言ってしまえば地球の重力のおかげです。つまり、地球が重たい(正確には質量が大きい)のでこうなってしまうのです。質量が大きい物体はそれだけ自分の周りに強い場を形成します。そのポテンシャルに乗っかることで上のような移動も可能となるのです。質量が大きいとは、とても良いことなのですね。

いかがでしょう、これを読んだら人よりもちょっと質量が大きい女性も勇気が湧いてきたのではないでしょうか。ただしあまりに質量が大きすぎると、今度は心理的なポテンシャルがネガティブに利いてきて、上記の効果がキャンセルされますのでご注意あれ。これからもちょっと質量が大きい女性の味方である私を応援よろしくお願いします。

慣れれば男のもアリですよ。

私が昨日、あれほど論理的に私の行為がパクリではないということを説明したというのに、未だにそれを信じようとしないばかりか、「あんなクソ長い言い訳はいらんから、まじで」などと内心で思っておられる方もいらっしゃると思います。勿論、閲覧者が何を感じて何を思うかは自由なのですが、それを公に発言する際には細心の注意を払って頂きたいものです。ペンは剣よりも強し、という言葉もあるではありませんか。私はとても繊細で傷つき易い人格ですので、皆さんの言葉のナイフには耐えられそうもありません。

というわけでお願いですから男が着るベルベットコートはきもい、とか言わないで欲しいのです。ましてやSSをとってUploaderに掲載するなんぞ言わずもがなです。(ちょっとこの言い回し使ってみたかったんです)
きもいと思うのはそれは仕方のないことかもしれませんが、それを声高に叫ぶ前に、着ている本人の気持ちを考えてみたらいかがでしょう。私が普段からどれだけオカマ言葉にならないように人知れず葛藤していることか。もう本当に涙がでるくらいです。(これも今、もう私、涙がでちゃいそう!と言おうとするのをなんとかこらえました)

みなさんが知らないところで持ち主も努力しているのです。見る側も寛容さが必要だと思います。

ユーザビリティとかも考慮してるかもよ。

マルセル・デュシャン。20世紀にもっともインパクトを与えた芸術として、ピカソのゲルニカを抑えて1位に選ばれた彼の「泉」をご存知の方も多いでしょう。男子の小便器にサインをしただけのこの作品は、斬新であるとかの以前にそもそも芸術として成立するのかという議論を巻き起こし、当時は出展を拒否されたそうです。他にも彼はモナリザにヒゲをつけたした作品「L.H.O.O.Q」(続けて読むとフランス語の’elle a chaud au cul’と聞こえる。意味は、彼女は尻が熱い=淫乱)や、自転車の車輪をはずして台の上においた「車輪」などを残しています。

これらの作品の根底にある彼の思想はレディ・メイドと呼ばれ、それは「新しい作品を作るのではなく、既製品を選び取ってそこに新しい意味、観点を付加することもまた芸術作品でありうる」というものです。これはなかなかに興味深い話です。たとえば最近、ミュージシャンの間で盗作が云々というのがありました。謝る人もいれば疑惑のままで終わっている人もいますが、以前に発表された詩、曲を再度用いるということに対して多くの人が批判的であるだろうと思います。ところで、少し前にあるグループが山下達郎のクリスマスソングをラップ調で歌うというものがありました。これはそこそこの好評であったかと思います。これは著作権所有者に許可を取っている、いないなどの問題ではなく、再度用いるときにそこに新しいものを付加しているかどうかではないかと思うのです。

というわけで前置きが長くなりましたが、この戯言の見た目は思いっきり「裏ッチック」さんのものと同じですが、私はその優れた既製品を選び取ってそこに新たな価値を付加する予定ですのであまりパクリとは思わずに大目に見て頂きたいと思うのです。(結論)