官能小説ノススメ(後)

さて、前回までの議論で官能小説で興奮できる人は頭が良いことがわかりました。後編ではそれを踏まえつつ、また新たな命題を導いていこうと思います。

命題2.官能小説で興奮できる人は異性にもてる。

これはどういうことなのか。もう前回のをご覧の方は容易に推察できるかと思いますが、官能小説で興奮できるためには俗な言い方をすれば、妄想が逞しくないといけません。擬音語を聴け、とまでは言いませんが、行間を読むといいますかむしろ作るといいますか。クリエイティヴかつアグレッシヴな発想が要求されるのですね。いわば脳内のファンタジスタ。もし余人がその人の思想を垣間見たならば、一目で魅了されるほどの域に達しているはずなのです。するとですね、どう自制していてもやはりその片鱗というものが言動の端々に表れてしまい、単に会話をしたり行動を共にしただけで、不可抗力ながら異性を虜にしてしまうというわけです。

官能小説で興奮できる人がどのような人であるかを滔々と語ってきました。さきほどの2つの命題を心に留めておいて欲しいものです。ここで真に驚くべきことですが、実は私は官能小説を読んで興奮できる人の一人です。いやー偶然とは本当に恐ろしいものです。ということは論理的帰結としまして私には2つの命題が適用できると言えます。ふふふ。

・・・書いていて虚しくなったりなんか、していませんよ。決して。断じて。

官能小説ノススメ(前)

問題なく更新できました。でもだからと言って内容に問題がないかはまた別問題です。

私は常々感じているのですが、世の中には二種類の人間に分けられます。それは官能小説を読んで興奮できる人とできない人です。こう言うと、そんなもん当たり前だろう。幼女の裸で興奮できる人とできない人がいるのと同じことじゃないか、とおっしゃる方もおられると思いますが、事はそう単純ではないのです。官能小説で興奮できるかどうかというのは、ビデオで興奮できるかどうかといった事とは比較にならないほど重要な意味を持ち、その点で一線を画しているのです。以下で、それを検証してみましょう。

まずは、官能小説でどうして興奮できる人とできない人がいるのかを考えてみましょう。よく否定派の意見として多いのが、活字ばっかりズラズラ書いてあっても何も面白くない。もっと視覚や聴覚にダイナミックかつドラスティックに訴えてこいよ、というものです。なるほど、確かに視覚、聴覚両面から攻めてくる他メディアと比較するとやや貧相に思えてしまうのも無理はないと言えます。

次に肯定派の意見を紹介しましょう。すると多いのが、他メディアとは深みが違う厳然たるストーリィがそこには存在し、なんら抵抗もなくそのストーリィに感情移入できる上に、適宜、自分と登場人物を置換することによって、既存のメディアのような確立した受け手としての存在から脱却し、もはや自らがそこに参加して新たな内的世界を構成することまでが可能である。そのような優れた媒体である官能小説だから興奮して当然である、という意見です。くれぐれも誤解しないで頂きたいのはこれは私の意見ではなく、官能小説肯定派の多数の意見です。お間違えのないよう。

さて、この双方の意見を比べますと、やはりどうみても肯定派の意見が崇高かつ高尚な見地から意見を主張しているのに対して、否定派は短絡的で民度の低い、むしろサルかと思ってしまうくらいの浅はかな意見しか主張していません。ここで、肯定派のとある人物のインタビューがございますので、聞いてみることにしましょう。

「うーん、なるほどねぇ。確かに聴覚という部分も大事なんだよね。でも、官能小説読んでて擬音語がでてくるでしょ?普通の人はすんなり読み流すんであろうけど、俺の場合はまず視覚を通じてそれが擬音語であると確認できたならば、それが鮮明に脳内で音声として再生されるからね。もはや俺くらいのレベルに達すると擬音語は読まずに聴いてるわけよ。」

誤解なきよう重ねて言っておきますが、これは決して私の意見ではありません。しかしこのとある人物の意見は否定派の批判を完全に凌駕していると言っても過言ではないでしょう。以上の議論から、私は一つの命題が自然と導かれると思います。

命題1. 官能小説で興奮できる人は頭が良い

もはやこれには反論の余地はないでしょう。長くなりましたので今日はこのへんで。続きは覚えていたらまた次回に。

イライライライラ

こんな無駄な90分が果たして他にあるだろうかと毎月思うバイトの研修に行って参りました。行って、参りました。バイトの研修というのはつまり、使うテキストの説明だとか授業内容だとかについて延々90分聞かされることを言うのですが、小学生に対する教え方という部分での話でこんなことを言ってました。
「10をかけたり10で割ったりする問題で、よく0を1つ増やしたり減らしたりと機械的にやる子供がいますけど、ぜひ先生方にはそこにどういう意味があるのかということまで教えてあげてください。整数の仕組みといいますかね・・。」
はい? 10進法を採用しているのだから10倍したら0が1つ増えるのは当たり前で、意味も仕組みもない気がするのは私だけ? それとも小学4年生に進法の説明から入れとでも言うのかしら。結局こういう説明をしろ、という具体的なことは何も言わないし、一向に要領を得ない。

はぁー。久しぶりにイラついたので戯言ではなく愚痴をこぼしましたが、今日から京都なので気を取り直していきましょう。新幹線で3時間程度で移動できるので大変ありがたい。恐らく京都から更新できると思いますが、問題が生じて全く出来ないかもしれません。いずれにせよ、みなさんの息災と安寧をお祈りいたします。

二酸化炭素を下さい。

真顔でマックの店員に「スマイルください。お持ち帰りで」なんて言えないシャイな非水です。みなさんこんにちわ。それにしましても、羞恥心というのは不思議ですね。人類はどの段階でそれを獲得したのでしょう。子供の成長過程でどのように羞恥心が育っていくかということについて語った文章はよく見ますが、人類の進化の過程でどのように獲得したか、というのは見たことがありません。これは誰が研究しているんでしょうね。文化人類学か、それとも大脳生理学あたりでしょうか。

この羞恥心が高度に文化的な社会を形成するのに不可欠なのは間違いないでしょう。先日、私も大変恥ずかしいことをやってしまいました。私は寒い日はセブンイレブンでおでんを大量に買って食べるのがもはやライフワークとまでになっているのですが、その日の店員は可愛い女性で、私は自分でおでんは取らない主義なので彼女にとってもらおうとして、
「おでんとってもらえますか?」
と言おうとしたんですね。ところが口をついて出た一言が
「大根とってもらえますか?」
きゃー。間違いではない、私は大根を必ず2個は買うので間違いではないのですが無性に恥ずかしい。間違えすぎて男根と口走っていたなら私は自動ドアに体当たりしながら逃走していたでしょうが、それはセーフ。彼女は別にニヤッと笑ったりなんてしていないのだけど、とてもとても恥ずかしくて胸が締め付けられるような、動悸が激しくなって少し息苦しささえ覚えるほどの、・・・はっ。これってもしかして・・・恋かしら?(過呼吸です)

参加賞の一本としてね。

昨日の戯言はちょっと頑張りすぎました。あれだけで原稿用紙3枚分ですからね。あれを書く時間があるならもっと有意義なことをやるべきだ、という意見がありますが、そういう人には私は「ミヒャエル・エンデのモモを読みなさい」と言うでしょう。知らぬ間に灰色の男たちの手先になっていることに気づくかもしれません。

それはさておき、今日も一つ面白い入試問題を紹介しましょう。埼玉にものつくり大学という大学があります。ここは詳しくは知りませんが、まぁ批判もそれなりに多い大学なのですが、ここの建設技能工芸学科の総合試験というのは大変ユニークです。2002年度の問題はこうです。

□問題
与えられた割り箸と輪ゴムを用いて、以下の(1)~(3)の条件を全て満たす橋を製作しなさい。
(1)42cmの川幅をまたぐ橋であること。42cmの間に支柱を設けてはならない。
(2)橋の中央に缶ジュース1缶載せることが可能で、そのとき橋の一部が川の表面に触れないこと。ただし缶ジュースの中身は飲んではならない。
(3)割り箸と輪ゴムは切ったり削ったりしても良いが、補充はしない。

これを試験時間210分で終わらせないといけません。210分というのは充分なようで、難しい気がします。私が今から作り始めたとして210分では絶対に作れないでしょうね。ですが工作が好きな人や得意な人は案外簡単に作ってしまうのでしょう。大学としてもそういう人を入れたいわけで、非常に良い入試問題と言えるんじゃないでしょうか。ただ、これを狭い机の上で作らないといけないのであればかなりのストレスになって思うようにいかない人も多そうですよね。床に座り込んで自分の周りに材料をばらまいて製作できたら、間に合ったのにという人もいるかもしれません。

どうでも良いのかもしれませんが、缶ジュースを立てて置くか、寝せて置くか書いていないのはわざとなんでしょうかね・・。それによって橋の構造が違ってきそうです。そして私が思うに、割り箸を割りまくった挙句、橋がとうとう作れないほどになってしまって、しょうがないから腹いせにジュースを飲んで帰った受験生が必ず一人はいることと思います。

もし実践された方はご連絡下さい。

そろそろホワイトデイなる日が近づいています。バレンタインデイで家族以外の誰からもチョコを貰えてない皆様方の中には、これは自分に無縁なイベントだと思っておられる人もいらっしゃるでしょう。もうその辺の考え方からしてアウトですね。いい加減固定観念を拭い去りましょう。女性からの告白の1ヶ月後に男性がお返しをするのであれば、男性からの告白の11ヵ月後に女性がお返しをしたっていいじゃありませんか。そう、すなわち女性は少なくともチョコをあげた男性からしかプレゼントを貰えないと信じきっていますので、ここで突然思いもよらぬ男性からプレゼントがあったならばその女性の心はもうあなたのもの。11ヵ月後にはあなたにとって人生初の本命チョコをもらえること間違いなしです。

というわけで今日はプレゼントなんて買ったことのない皆様にアドヴァイスをいたすことにしましょう。まず大事なことは何をプレゼントするかです。最初のプレゼントでいきなり高価な物だと受け取って貰えない可能性が高いので、それなりに安価だけど心のこもったものを贈ると良いでしょう。私はここではケーキを提案したいと思います。これは決して私の家の近くにケーキ屋があるからとかそういう理由ではないですので誤解なさらぬよう。多くの女性はケーキが好きでしょうし、そんなに馬鹿高くならない点が魅力です。

さて、戦いはケーキを買いに行くときから既に始まっています。申し上げにくいですが、皆様が普段どおりの服装、様相でケーキ屋さんに行かれましたならばそこの店員はあなたを一瞥したあと、「またヒキヲタが糖分を求めてきやがったか」と内心呟いてしまいます。そうなってしまったらもう後の祭り。店員になめられて売れ残りの賞味期限ギリギリのケーキを渡されることになり、あなたの計画は脆くも崩れ去ります。よって店に行く前に1時間くらい入浴して、服も2回くらい洗濯することをお勧めします。

準備万端で店内に入りました。少しばかりケーキを物色した後、おもむろにケータイを取り出してメールを打っているように見せましょう。これを見た頭のちょっと弱い店員は、「あら、この人はいま相手にどのケーキが好きかを聞いてるんだわ」と一人で勝手に勘違いしてくれます。そしてさも返信メールを受け取ったかのように振舞った後に、どれでも良いので適当にケーキを買いましょう。ぶっちゃけ何を買ってもよいです。ここで、メールじゃなくて電話してる振りをしたほうが確実じゃないか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに店員がそれを見たらメールよりも確実でしょうが、それは高度な演技力が要求されるとともに、その最中に本当に着信があったら速攻で演技とばれてしまうという諸刃の剣。素人にはお勧めできません。

さて、無事にケーキを買われましたなら、後は頑張ってそれを意中の人に渡してください。手段はご自分で適当に考えてください。私が思うに、一緒にケーキを食べるというシチュエーションがベストでしょう。いきなりケーキを渡されたならば何か変なものが入っているんじゃないかしら、と訝しんでしまう女性も、一緒に食べるのであれば安心するでしょう。これでもう11ヵ月後が楽しみですね。

最後に、一緒に食べようとしても拒否られたり、あるいは快く受け取ってもらえたけれど家に持って帰って処分されてしまったりしたとしても、それはあなたの渡し方がまずかったか、あなたの顔面のスペックが低すぎたかのどちらかであって、私のせいではありません。しかも、たとえ受け取ってもらえなかったとしても本当に事の成否がわかるのは11ヵ月後ですのでまだ希望を捨ててはいけません。きっとあなたの気持ちは届いたはずです。そして私へのクレームは11ヵ月経つうちに忘れ去られ、きっと届かないでしょう。

進化のスピードをなめちゃいけない。

私のバイトの同僚と一緒に夕食をとっていた時のことです。彼は電気情報工学が専門でハード、ソフト両方を勉強しているのですが、PCの話題からMobileへと移って議論していましたら、彼が熱くこんなことを語りました。

「携帯電話をケータイと略したやつが一番素晴らしい」

私はそれを聞いてなるほど、と唸ってしまいました。すなわち、「携帯電話」を普通に略そうとしたらケイデンとなりそうなものです。ところが現状はどうですか。携帯電話といいつつも電話の比重はとても小さくなり、メールやネットへのアクセスができたり、テレビを見れたり、写真、動画を撮影できたり、音楽をダウンロードして聴けたり、リモコンになったり、お財布になったり、あるいは目覚まし時計にもなるというこの多機能ぶり。電話とは機能の一部分に過ぎなくなりました。このことを考えるとケータイと略したことは先見の明があったのではないか、と彼は評価しているのです。

・・・ということは。ここからが本題なのですよ。我がクラン名「はばたけもるでぃ」をどう略せばよいか、という疑問の答えを上の例が示してくれているのではないですか。現状ではモルディは確かにはばたいています。でもだからといって「はばもる」と略してはいけないことが分かりました。つまり、将来モルディがメールやネットへのアクセスし、テレビを見、写真、動画を撮影し、音楽をダウンロードして聴き、リモコンやらお財布やら目覚まし時計やらを持って、ほとんどはばたかなくなったならば、平成生まれの子供はお母さんに、「ねぇ、はばもるのはばって何のこと?」と聞いちゃうようになってしまうのです。

以上の推論から、我がクラン名は略すときはもるでぃ、と略して欲しいという結論に至ります。これをご覧になった皆様、どうぞよろしくです。